こざ

ドラマの感想から入ったのにだんだん雑多になった人

『虎に翼』は、私にとっての”翼”だ。

朝ドラって人生のドラマだ、とつくづく思う。

 

 

 

 

 

2024年度前期連続テレビ小説『虎に翼』が、ついに最終回を迎えた。個人的に久々に「終わらないで」と切に願う作品だった。

 

 

何か作品を観たときに、単に「面白い」と思う作品は、有難いことにこの世界に何作とあり、エンタメとして娯楽を享受しているが、「あ、これは私の人生だ」と、自分を物語になぞらえる作品は、そう多くない。私にとって『虎に翼』はそのような作品であった。

 

半年間も同じ物語、登場人物を追えるという贅沢に代えられるものは、他にないのではないかと思う。半年かけて登場人物の人生と並走するからこそ、自分と物語をより深く重ねることができる。私は、現在のドラマ枠で唯一それが体現できる朝ドラが大好きだ。

 

『虎に翼』は、自分自身と重ね合わせる物語であると同時に、そんな贅沢を大切なお守りとして毎週与えてくれるような作品だった。

 

 

ここでいう「大切なお守り」とは具体的に何かと問われたら、私は「勇気」と答える。

 

個人的に、その「大切なお守り」認定をしている朝ドラ作品は、『半分、青い。』と『おかえりモネ』だ。これら2作も長文で感想を書いた。半青が第98作目、おかモネが第104作目、そしてトラつばが第110作目という、偶然にも6作のスパンで、自分に大影響を与える作品に出会っている。次は第116作目ということだろうか笑。

 

このトラつば感想を執筆するにあたって、過去2作の自分のブログを読んだのだが、あまりに思春期の塊で共感性羞恥甚だしすぎて、ずっと薄目越しに読んでしまった。6作スパンということは、言い換えると3年スパンということで、その間に私は、中学生、高校生、そして現在大学生と、分かりやすく肩書きを変えながら、大人になっている。(中学生から変わらない同じネットの海で、今もなおTwitter片手に朝ドラ観てる事実が1番怖い)

そんな変化激しい青年期の時期に、これは自分にとっての「大切なお守り」だと言える作品に、それぞれのタイミングで出会えていることがすごく嬉しい。誰になんと言われようと、朝ドラというコンテンツが、100作先も続いてくれてありがとうと思う。

 

アバンが長くなってしまったが、ここからは『虎に翼』がどう私の「大切なお守り」になったのかを書き連ねていきたい。

 

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[虎に翼] 主題歌 米津玄師「さよーならまたいつか!」オープニング(ノンクレジットVer.) | 朝ドラ | NHK

 

 

 

 

 

私は寅子が大好きだ。大好きだし、尊敬しているし、羨望もしている。

 

寅子の口癖である「はて?」

疑問/怒り/整理をなんて端的に表現している言葉なんだと、「はて?」と発するのを聞くたびに感動する。私が今まで感じてきた生きづらさ/不満は全て「はて?」だったのだと。

 

 

私の父親は、自分理想のレールを引いて、そこに私が走っていけるように誘導する人だった(過去形表記だが元気に生きてます)。

学校は毎日行きなさい、部活で苦労しなさい、良い成績を取りなさい、地元に尽くしなさい、良い子でいなさい......

父は、私に「普通」の在り方を押し付けていた。別に何も間違っていないレールだ。娘にスクスク育ってほしいという、イチ親としての願いだ。確かに、これ通りに進んだら、安全な社会的に健康な橋を渡る生活ができるのかもしれない。

 

微熱が出て学校を休もうとしたら「それは甘えだ。微熱くらい父さんのころは何もなかった」と、昔話をしてきた。高校で週2活動の文化部に所属しようと思ったら「それが将来何になる?頭冷やして考えろ」と、入部届けを突き放された。英語のみが評定4で、他教科はオール5の成績表を見て「次は綺麗な”5”で揃うな」と、ひとつもプラスの言葉をかけてもらえなかった。テスト期間と地元の祭りの期間が被っていてテスト勉強を優先したら「祭りに来なかったんだから、お前は外に出る資格はない。部屋にこもっていろ」と、息抜きにとリビングにいたのに、部屋に連れて行かされた。

 

これら全て、私のスン...で終わった。今思い返すと全て「はて?」でしかない。父は、普段の喋り方から怒鳴り口調なので、少し感情が入っただけで、暴力的で権威的な言動になる。何度か、負けじと、反抗して、父の声圧に負けないように、同じように怒鳴って、さらには泣き叫んだこともあったが、いわば、冷静に理論的な理由を聞き出そうとする「はて?」を返す体力根気は何も持ち合わせていなかった。第122話でよねさんが航一に対して、「暴力は思考を停止させる。抵抗する気力を奪い、死なないために全てを受け入れて耐えるようになる。」と美位子さんの件を説明していたが、まさにそれだ。私は物理的な暴力を受けたことはないが、暴力的な言動に対して、この人に何を言っても意味がない、と、諦めの精神になっていたのは確かだ。

一度だけ、さすがにここで自我を突き通さないと、自分が死んでしまうと思ったことがあり、「アンタには関係ない!!!!」と反抗したが、「はあ(深いため息) こんな子に育てた覚えはなかったんだけどな」「ドラマばかり見ているからこんな子に育ったんだ」という、まるでドラマみたいなセリフをドラマver.で吐き捨てられて、結局私が何も言い返せなくなり終わった。正直、何を言っているのかサッパリ理解できなかったのだが、私がこの日下校すると、いつも使っていたテレビのテレビ線ごと抜かれていて、この日から、我が家のテレビが一台使用不可になった。朝6時台から言い争っていたこともあり、いまだに母親に「あれはすごかったねw」と笑い話にさせられている。

このときばかりは自分のアイデンティティを踏みにじられすぎた気がして、「クソジジイ」と暴言を吐いてしまった。この出来事から、私は父と、2ターン以上の会話をしていない。かれこれ5年の月日が経っている。

 

私は父が大っ嫌いだ。特に理論的な理由ではないのに声を荒らげる父、常に怒鳴り口調で話してくる父、その割には決して手を出さない(暴力を振るわない)父、全部全部嫌いだ。いっそのこと殴ってくれと思う。そうされたら「殴られました」で訴えるのに。絶妙に、人に話してもどうにもならないスレスレの嫌な関係を構築している。

 

 

第69話、寅子は、穂高先生の退任記念祝賀会で、花束を渡すことをしないどころか、穂高先生にとってキツい言葉を投げ返した。

 

穂高「ああああ、もう! 謝っても駄目、反省しても駄目、じゃあ私はどうすればいい?」


寅子「どうもできませんよ! 先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」

 

 

この寅子の”謝らない”という選択は、賛否を呼んでいて、私のFFでさえも、意見が真っ二つに割れていて、おもしれ〜と思った記憶のある印象強い回だ。

(私の物語的意見としては、恩師である穂高先生に、穂高先生自身のことを「雨垂れの一滴」に過ぎないと言ってほしくなかった。穂高先生に率いてもらった法曹界への道なのに、それを恩師自らが「意味ない」と自分を卑下する言い方に、また、その「意味ない」穂高先生を信じて着いてきた寅子含め仲間たちはますます「意味ない」「雨垂れの一滴」だと言われたような言い方に、「許せない」感情になったのではないかと解釈した。あなたが自分を信じなくて、誰があなたを信じるんだよ!という。寅子、穂高先生のこと大好きなんだよね。)

 

 

私はこの寅子の「謝らない」「許さない」という突きつけに、「分かる!俺には分かる!!!!」の共感の気持ちと、羨望の気持ちの半々がうごめいた。この回も、その後も、感情をグワングワンさせられる夏が続いた。

 

先述したように、私は気づいたら父とはこの有様である。現在、実家から離れて一人暮らしをしているが(この選択も、これ以上一緒にいたくないという気持ち8割の決断)(父には、「この大学で勉強したいから県外から出る」と土下座して懇願した記憶がある)、この夏に帰省した際も、父と向き合う時間より、星航一の星家蓋を閉じてしまった問題についてTwitterと睨めっこしながら向き合う時間の方が圧倒的に多くて、自分でふと苦笑してしまったほどだ。

 

寅子が仕事に明け暮れた結果、母親にスン...としてしまうようになった優未、星航一が余生だと思って戦後を生きていた結果、父親にスン...としてしまうようになった朋一とのどか。このチルドレン3人は、完全に実の父に対して、スン...という態度を取ってしまっている私だ。

 

そりゃ、このスン...という態度を取らなくてもよくなったらどれだけラクだろうか。そのためには、「あのとき私は間違っていました」「カッとなって強い言い方をしてしまいました」と謝ればよいのだろうか。「これからは仲良くしたいと思っています」と更生すればいいのだろうか。

 

どれも正直めちゃくちゃ嫌である。ごめんなさいだが、私が?なぜ?(ウォニョンの画像)の気持ちでいっぱいだ。だって私は父に言われたことに対して「許さない」とずっと思い続けているからだ。

よく、結婚式で親への感謝の手紙を読む一幕があるが、私はマジでそれをやりたくないので、結婚式をしたくない(とんでもない)。

 

「許さない」と思っている師には、お祝いの花束は渡せない。「許さない」と思っている父には、感謝の手紙は渡せない。「世の中そういうもの」に流されては、負けな気がする。

 

この第14週において、私は寅子に大共感し、さらには、はなむけの言葉を決して渡さなかった姿に感銘を受けた。どれだけお世話になっていても、好いていても、「ガキ」と怒られる選択をしていいんだと、このときの寅子は私にとって一縷の希望の光のように思えた。(大人って結局建前を気にして、ガキになれないので余計に)

 

穂高先生が寅子を思うがばかり空回りしたのと同じように、私の父だって自分の理想を押し付けてくるのは、娘を大切に思っているため。とも、納得はできないが理解はできる。だから学費等のお金は工面してくれているし、今の大学にも下宿先から通わせてもらっている(最終学歴は四大卒で、の価値観の持ち主でよかった)(おかげで現在専門学校を狙っていると思われる高校生の弟の立場が危うい、らしい)。そこは本当に本当に大感謝だし、父がいなければ私は生活できない。

でも、それでも、許容できないことの方が割合を上回っているのだ。穂高先生に対する寅子の感情と同じように。

 

私はたまにそんな父に対する無理だ〜 ということをツイートしてしまうのだが、ある日、「お父さんのことが嫌いだということですが、学費は払ってもらっていますよね?バイト代を好きに使えていますよね?私はバイト代も全て学費に使って自分の時間に使えませんでした。そんなことで嫌いとか甘えたことを言わないでください。舐めんな(これの3倍ほどの長さ)」というクソなマシュマロが届いたことがあった。

「私の痛みは私の痛み、あなたの痛みはあなたの痛み」精神でいるので、さすがにクソ腹が立って、悔しくて、横浜のホテルでめちゃくちゃ泣いた(奇しくも私が横アリ公演に行っている日だった)(たぶんそれを知っていての嫌味マシュマロ)(匿名でお気持ち表明してくるのはフェアじゃないゾ)

 

第124話で、よねが美位子に「私たちの元に来る依頼人の話を盗み聞きするためならやめろ。人を見て安堵したり、自分の身に起きたことと比較したりするのはやめろ。」と話していたが、あなたの痛みに寄り添うことは何らかの光にすることはできても、他人の痛みと背比べをしたところで、前向きな意味で何かが変わることはない。自分の置かれた環境を他者と見比べて可哀想と置き換える、さらには他者を恨むなんて同情のスパイラルでしかない。

そんなことを言ったら、私は家族仲良しの家庭、家族団欒という概念がある生活、あとは東京都内/近郊に実家がある人が本当に羨ましい。

 

虎に翼でも、「この人は悩みなんて、痛みなんてなさそう」と思った登場人物もみな自分だけの何かを抱えていたはずだ(毒饅頭試作のときに、各々の不満をぶちまけていたのが印象的だ)。

私は家族仲良しの家庭、家族団欒という概念がある生活、あとは東京都内/近郊に実家がある人が本当に羨ましい。

 

そして私は寅子が羨ましい。スン...と自分が思っても、娘や家族にスン...と思わせても、結果的に再構築できている。「はて?」と自分の疑問を口にできる。話し合いをきちんとできる。結果、体力、姿勢、何もかもが羨ましかった。先ほど、穂高先生を許さなかった寅子は私にとって一縷の希望の光のように思えた、と書いたが、その気持ちと裏腹に、ひたすら嫉妬していた。しんどい現実が続いているように思える本作だが、私にとっては、「非現実」で、「希望的」な展開の連続である。どうしたら寅子みたいにできるんだろう。どうしたらせめて家族会議にもっていけるんだろう。そんなことを考えながらこの夏帰省したが、父の第一声が母に対しての怒号だったので、スン... と諦めてしまった。(私が朝ドラを見る習慣が付いているのは、実家の視聴習慣のおかげで『虎に翼』も父は観ているはずだが何も思わないのだろうか)

私だって何もかも諦めているわけじゃない。もう成人してちゃんと大人なんだし、思慮分別のある行動を取りたい。せめて帰省という行事にトキメキたい。

 

過去、私が少し間違えて家裁にお世話になっていたとしたら、そのときの担当判事が寅子だったら、どのように向き合ってくれたのだろうか。

「特別な」悲劇などは起こっていない。それでも手を染めてしまったかもしれない私に。

 

 

 

 

寅子に羨望していることと言えば、もうひとつある。

初めは社会的地位向上のために結婚した優三さんに恋をしたことだ。

 

私は以前、第100話(轟が遠藤さんと交際していることを寅子に告げた回)のあとに、こんなふせったーを書いた。

 

 

(一度ツイートしてから加筆したのも含め、合計8000字越えの狂気文)

 

 

もう一度、事細かに書くのは省略するが、簡潔に言うと、

・高校時代、担任の女性の先生が好きだった自分

・世の中のマジョリティな恋愛における意見に「はて?」の感情を覚える自分

・マジョリティになったら、そんな「はて?」の感情が消えるかもと思い、一瞬だけごくありふれた男女交際をしていた自分

 

の3本立てだ(とんでもない)。

 

 

『虎に翼』は、寅子の「はて?結婚が本当に女の幸せか?」という感情から始まった物語である。

 

無論、現在の法律において、女は結婚したら「無能力」ではないが、”結婚=幸せ、人生の成功者”という価値観は、100年前と変わらず、洗っても落ちない汚れのようにこべりついている。

この洗っても落ちない汚れはしつこく、割とどのコミュニティにいても、「彼氏いないの?」と聞かれる。(この度に私は、質問そのものよりも、”彼氏”断定か〜〜〜 となってしまうが)

 

それに、もううんざりしていたところに、私のことを恋愛的に好いてくれているという男性が現れた。これは、今しかない滅多にないチャンスだと思い、「いい人そうだし〜」を建前に、飛びついた。いわば、社会的地位向上のための、社会に舐められないための交際である。令和になっても、ほぼ寅子と同じ行動を取っていることに驚いてしまうが、私は、両親にお見合いの手筈を頼む寅子の姿を見て、全く同じだ......と感動したほどだった。

 

向こうは私のことを好きでいてくれるし、その愛情を受け止めていたら、自分も自然と好きになって居心地良くなっていくだろう、そう考えていた。

ところが、愛情という名の優しさという名の女性扱いが、私の肌に合わなかった。少し多く奢ってくれるのも、車道側を歩いてくれるのも、狭い道で酔っ払いとすれ違うときに肩を寄せてくれるのも、全部全部優しさだと分かっているが、それは私が”彼女”という属性だから、気遣ってくれる行動であり、根本的にそれがキツかった。「はて?私はあなたに”癒し”を与える要員ではないのですが?」と、日に日に強くなっていき、寅子の「人が恋に落ちるのは突然」期に私は白旗をあげた。(元彼へ、頼むからこのブログを読むな)(読まない)

 

そのときの私は、「(なんだ、寅子も普通に恋できる人間なんだ)」とどこか裏切られた気持ちになったことを覚えている(ツイートしている)。

 

 

 

だから世間が優三さんに萌え、涙し、何なら今でもその感情はあの頃のままと思うが、私は間反対の感情になってしまったので、何一つ優三さん萌えをしないまま最終回を迎えてしまった。(寅子が優三を好きになった理由は分かる)

 

寅子は優三さんに対して、ずっと「愛情を搾取した」罪悪感を抱えていたために、航一の好意の受け入れに時間がかかったが、私も同じようなものなので、優三さん、いや、仲野太賀を見るたびに(ホントにごめん)、罪悪感にさいなまれる。

さらには、実際に男女交際を経験したことによる「付き合っているんだからいいでしょという愛情の受け売り」の感覚が分かってしまい(それを私は良しとしないことが分かってしまい)、恋愛ドラマを受け付けない身体になってしまった。だから当時放送されていた春ドラマの恋愛作品は6話あたりで観れなくなってしまい、夏ドラマも「(あ、まって、”優しさ受け売り”の恋愛展開になります?)」と察したものは、それ以上試聴できなくなってしまった。割とガチで最悪である。(例えば『アンメット』は、質が高く面白い作品という認識はあったが、恋愛要素に耐えられなくなりめちゃくちゃ薄めで妥協で観ていた。)(星航一は逆にめちゃくちゃ萌える。「弱さにつけ込もう」としなかったところがハマったのだろうか。)

 

結局、みんな恋愛”できる”人であり、「(対女性への)彼氏いるの?」の質問には、”はい/いいえ”の2択で答えられる。鬱陶しいという感情はあれど、それを大半の人が、「普通」のことと受け入れているのだと。私みたいに、いちいち「はて?」と思うのは、”じゃない方”なんだ。

と考えを巡らせていた矢先に、あれよあれよと優三さんに赤紙が届いた。あさイチでも名シーンと度々取り上げられている、別れの変顔シーンを見たときの私の感情は「(ああ、素直に他者と愛を育めるようになった寅子、羨ましいなあ)」であった。

 

 

その後、第53回(轟が花岡の死と向き合う回)が放送された。

 

よね「死んだ相手に強がって何になる?」

轟「強がる?何だよ急に。」

よね「惚れてたんだろ花岡に。花岡と最後に会ったとき、そう思った。」

轟「お前、何を馬鹿なこと言ってんだよ。」

よね「馬鹿なことじゃないだろ。惚れた腫れたはカフェで死ぬほど見てきたからな。別に白黒つけさせたいわけでも、白状させたいわけでもない。腹が立ったなら謝る。ただ私の前では強がる意味がない、そう言いたかっただけだ。」

轟「俺にもよく分からない。」

よね「そうか。」

 

 

 

轟は、この瞬間は「分からない」と口にしたが、私は(お前が?)よねさんの言葉に腑に落ちる結果となった。「(あー、自分って今まで無駄に世間様に対して”強がっていた”)」のだと。

もっと早く教えてよ〜〜〜〜 と思いつつ、普遍的になるために「特別」にならなくてもいいのだと解釈した。

 

BLドラマという名でジャンルが確立され、LGBTQという言葉が広く知られている現代において、そういった名前が付いていることは、ある意味、じゃない「特別」を感じさせる要因なのかなと思った。(もちろん、知らないよりは知っている世界の方がいいです。透明化しないは、まずは知ってもらうことから。)

 

 

 

「特別」といえば、美佐江・美雪、母娘のことが記憶に新しい。

 

美佐江は、周りに共感されたかったのか、唯一無二になりたかったのか、本心はどちらであっただったのだろう。仲間が欲しかったのか、孤高の存在になりたかったのか。

 

私はかつて美佐江に、このような希望を見出していた。

 

実際の美佐江が、「この東京で、私はただの女にすぎない」と自覚するまではよかったのだと思う。ただ、1番選んではいけない選択をしてしまった。寅子が美雪に投げかけた「何も特別じゃない、どこにでもいる女の子だ」を、このときの美佐江に届けられていたら何か変わったのかもしれない。

 

 

美佐江を見ていると、自分のifだなと強く感じる。

 

新潟編、星航一の愛おしさにごまかれていたが、「これだから田舎は嫌だ」が詰まっていて、地元出て正解だったな...と一人暮らしの部屋でしみじみしてしまった。

前半、長ったらしく書いたように、家族円満とは程遠く、また、田舎の人たちって、想像以上に他人のゴシップで生きている。風の噂が、突風くらいの速さと予期せぬところから吹きつけてくる。そんな閉鎖的な空間で、私は”優等生キャラ”の立ち位置であったし、「〇〇(父の名前)さんとこのお嬢さん」という肩書きだった。そりゃ、自分は”個”が確立された特別な人って思ってしまう。でも上京してからは、隣の部屋の人の名前すら知らないし、周りから見たらただの有象無象の学生にすぎない。

私はこれくらいの温度感がすごい心地よかった。田舎の人って、「都会の人は冷めている」と言いがちだが、その"冷めた=干渉しない赤の他人"の距離感でちょうどいい。私は上京したことによって、自分は”ただの人”なんだ、と自覚することができ、それが返って、今までがんじがらめになっていた自分を解放することができた。

 

”ただの人”でいたいのに、マジョリティで構成された社会が、それ以外を「異質」「特別」とみなしてくる。何が、寛容になりましょうだ。なんで、マジョリティ側に、自分を見知らぬふりして付随しなければいけないのだ。

 

「どんなあなたでも、私はなんだっていい」

美雪に投げたこの寅子の言葉が、「大切なお守り」として、私の中にも大切に包み込まれていった。

 

 

 

 

私は、寅子、優未、轟、美佐江など、あらゆる登場人物に「これは私だ」と自分を重ねながら半年間視聴した。もちろん、花江に共感する人、直言に共感する人、小橋に共感する人などなど、様々いるだろう。『虎に翼』は、誰に心の拠り所を作ったっていい、と優しく手を差し伸べてくる、いや一緒に力の限り並走してくれる作品だった。

 

 

 

ここで物語の柱となっていた日本国憲法第14条を振り返っておこう。

 

『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』

 

学校の授業でこの条文を知ったとき、なんでこんな当たり前のことを憲法に?と思った記憶がある。答えは『虎に翼』を観ることで分かった。今の当たり前を当たり前にするには、この第14条が必要だったのだ。

また、第12条には『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。』とある。インタビューで、脚本の吉田恵里香さんが、第14条と同じく強く印象に残った条文として挙げていた。

ドラマが始まる前まで、法律ってもっと難しいものだと思っていた。ただの決まり文句だと思っていた。でも実際は常に私たちに在るものであった。法の下に平等を実現させるには、我々の不断の努力が必要不可欠ということだ。

 

寅子は最後に「法律は船のようなもの」と言っていたが、皆さんはどう捉えただろうか。

私は「法律は街のようなもの」だと考えた。時代と共にそこに住む人々の生活スタイルによって変わっていく街、でもそこにはいつの時代も人の営みが垣間見れて、守らなければいけない風景もある。

 

 

 

【虎に翼】《「韓非子」難勢から》ただでさえ強い力をもつ者にさらに強い力が加わることのたとえ。

 

この作品からいろんなことを学び、考え、思いを受け取った。おかげで、今は、半年前の自分にモビルスーツが装着されたような、そんな力が着いた感覚だ。

100年先はどうなっているのだろうか。Twitterはまだあるのだろうか。遠藤さんの「僕たちの関係が法的に認められるような今日みたいな瞬間を、生きている間に迎えられたらいいな」という願いは我々の努力により叶えることができているのだろうか。

 

判例が残るように、この作品が2024年に作られた意義は大きいと思う。作品も残る。

 

 

「この先、私はなんにだってなれる!」

優未のようなキラキラした顔で健やかに生きられますように。寅子たちが作ってくれた道を大切に舗装しながら、新たな道を開拓していきたいものだ。

 

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