ドラマ、映画、アニメ、舞台といった作品を見ていると、まれに自分の人生に大きく影響を与えるものに出会うことがある。
私はドラマを見ることが趣味だ。年80本以上国内ドラマを見ているが、自分の人生を変える作品に出会うことは滅多にない。面白い作品は、毎クール5本くらいあるのだが、”人生”という大きなジャンルになると年1であるかないかだ。
そんなSSR作品に、今年出会ってしまった。そう、『おかえりモネ』である。
(考察分析したレビューというより、「私とおかえりモネ」といったような感想文です)(長いぞ今回も)
『おかえりモネ』朝の連続テレビ小説、第104作。
この作品以前に、私の人生に影響を与えた作品といえば何だろう、と考えたら、パッと思いついたのが、同じく朝ドラ枠で放送された『半分、青い。』だった。
鈴愛の強さ、周りの人の優しさ、みんなが自分の人生を奏でてる様、このドラマにいろんなことを救われた。ありがとうありがとう #半分青い
— こざ (@koza0820) 2018年12月31日
(放送当時に使用してたアカウントは凍結されて今は鍵垢なのですが、現在の私では操作が効きません(パスワード忘れたせい))
このおかモネブログを書くに当たって、半青も総括ブログを書いたよな…と振り返ると、
書いてた。だけどもう3年前(!?)、当時、思春期反抗期真っ只中、中学2年生の私が書いた文章である。正直もう自分では読めない。たぶんこのブログも、この先読むことはない。
このとき半青に対して抱いた感情と、おかモネに対して抱いた感情が似ている。
私にとってモネとは
半青の主人公、鈴愛は私にとって”ヒーロー”だと常々思っている。年齢や立場に物怖じせず、立ち向かっていく姿が、仕方がない…で諦めずに、やる!という心意気がとてもカッコよかった。
では、私にとってモネとは何なのか。
様々な記事やツイートを読んでいると、モネは地味なヒロインだ、という声を耳にする。確かに、朝ドラあるあるの大事業を成し遂げたわけでもなければ(昭和を主に描く作品は、大抵史実をもとにしているので、大事業を成し遂げるのはそれはそう)、ガツガツヒロインのタイプでもない。といったセオリーから外れた朝ドラヒロインは地味、その理論だったら、人間大体地味なのではないだろうか。
物語の序盤、島を出たい一心で登米に行ったものの、18歳のモネは目標も夢もないことに悩んでいた。だがきっかけとなる出来事や人物に出会い、気象予報に興味が湧いてくる。
この登米編で印象に残ったのは、モネの行動力だ。
気象と出会ってからのモネは、気になった天気を自分で調べるようになり、仕事の合間を縫って勉強に励んでいた。初めは中学レベルの問題にも、?マークを浮かべていたが、気づいたら菅波以上に気象について詳しくなっていた(このときの焦る菅波大好物)。そして合格し、東京に行く思いを周りに告げる。
私は、亀島と同じくらいの規模の田舎暮らしである。3世帯で暮らしており、永浦家と家族構成もほぼ同じ。近所付き合いが根強いので、仮に私が、顔が坂口健太郎の東京の医者を町に連れてきたときには、すぐ噂が立つだろう。もしかしたらうちの近所にも、でんでんはいるかもしれない。
そんな私は、現在高校2年生の秋。絶賛、将来の進路に模索している時期である。おかモネが始まった5月、私はモネと同じように、目標も夢もなかった(正確に言うと、モネは震災によって1度夢を諦めているので、同じかと言われたら全く違うと思う)。春の進路面談で、「とりあえずこの学部ですかねー」と、曖昧な返事をしながら担任と話していた記憶がある。
んー、目標も夢もないというよりは、まだ何もかも曖昧なままだったという方が正しい。
先ほども、述べたように私は田舎暮らしである。両親がめっぽう地元好きで、2人ともこの市内から出たことがないらしい。母親の実家帰りも車で20分で済んでしまう。そんな両親のもとで育った私だが、反対にめっぽう田舎が苦手である。人付き合い、他人に干渉されること、謎の仲間意識…………苦手だ。そりゃ社交的に振舞うし、コロナ前は月1であった地域のコミュニティにも参加していた。でも、分かりやすく価値観が昭和からの地続きなので、女が料理を作るし、必要以上にプライベートを聞かれる(まあ若い世代がいないのでアップデートされることもないまま、”伝統”だけが独り歩き状態に)(もちろん良いところもあります)(好みと、どこを妥協するかという問題なのかな)。仕方ないと思いつつも、めんどくせーという思いが溜まる一方だ。
だが、素直にこの町を出ていけるかというと、それはそれで悩むところがある。目に見えて分かる人口減少、過疎化。どこかに行ってる場合じゃない!そんな気持ちにかられる(ずっとみーちゃんと似たところがあると思っていたんですが、最終週で良い意味で裏切りを食らいました)。
そんな感じで、パーっと都会に進学するべきか、地元で進学先を決めるか考えてきたとき、そこには自分の思いをはっきり伝えて、上京するモネの姿があった。ドラマ内の時間軸にして2年、現実の時間軸にして2か月、夢も目標もないといっていたモネが、憧れを追いかけて努力をし、難関試験に合格し、東京に行くという大きな決断をしたのだ。
このことは私にとって衝撃だった。そりゃ、ドラマとしては物語が動いてくれないと困るし、何なら東京行ってくるわーのノリで上京してもいいと思う。でもモネは、きちんと自分のやりたいこと、方向性、それを成し遂げるために今の自分には何ができるのか、を明確にして、それを行動に移していた。
「カッコいい」と素直にそう思った。自分の将来を見据えて行動するのは当たり前かもしれない。でもその当たり前を実際の行動に移すのは難しい。ウジウジしている私からすると、モネは私もこうなりたいというひとつの指標なのだ。
本作はモネの15歳〜24歳という10年間を描いてきた。中学時代の吹奏楽部設立、気象予報の勉強や気象予報士としての活躍、地元に戻る決断。たった10年にしても、ここまで、自分の、やりたい!やってみたい!という気持ちを出して、様々なことに物怖じせず行動に移している姿は、物語全体を通してとても印象的に残っている。しかも、ただただ、やりたい!という気持ちを出すのではなく、その意義を明確に伝えて、上手いこと周りの人の力を借りながら、確実に形にしている。
このモネの姿をひと言で表したのが、「クソ度胸」なのだろう。登米編から見ている視聴者としては、モネの図太さはすごいな〜といった感想を初めのころから持っていたが、彼氏面し始めた菅波光太朗に負けてしまった。おそらく、モネの人生で今まで、モネの物怖じしない図太さを的確に表現する人はいなかっただろうし、それを伝える人もいなかったのだろう。それを同時にこなしたのが菅波光太朗だ。何だろう、すごい悔しい。
そこからモネの中で「クソ度胸」という言葉がブーストをかけるようになったのか(別に自覚はしてなさそうだけどね)、地元に貢献したいという目標があったモネの行動力は凄かった。社内プレゼンを押し通し、社長にビジネスとしては甘いけど胸が熱くなる(ドラマなので感情論だけでもいいのだが、感情論だけで済ませないのもおかモネの好きなところ)と言わせ、1人地元に帰ってからは、自分にできることを模索し、漁協に足繁く通い、少しずつではあるが、確実に信頼を強くしていった。
その度に私は、「クソ度胸」だ………………気仙沼編のモネの一部始終を菅波に見せてやりたい………これ、菅波が好きなモネだろ………………と思っていた。いいだろ菅波、私たちは、モネの15から24を知っているんだぞ。9対5だ菅波。どうだ菅波。
モネは物理的に大きな声を上げることもなければ、感情をさらけ出すこともあまりない。だけれども、心に秘めた強さを持っている。
「戻ってたまるか」
最終回の固い決意。「戻らない」ではなく、「戻ってたまるか」。永浦百音という人物の全てが詰まっているように思えた。あのときの無力で何もできなかった私じゃない。今の私だからできることがある。
そんな”今”を見つめ、”今”を懸命に生きているモネが好きだ。人間、過去には戻れないし、未来に対して無力である。でも、今を懸命に生きることはできる。今しかないことを、今だからできることを。それが水の循環のように回りに回って、無力な未来に光を灯すかもしれない。モネは、そんな可能性を見出してくれた。
話を最初に戻し、私にとってモネとは何なのか。
無敵のヒーローでも、輝かしい神様でもない。未来の可能性を広げてくれ、自分の舵取り次第でどこにでも連れて行ってくれる道を示した「海」のような存在。ちょっと広大な気もするが、そう表現していい。それほど、私にとってモネは、近くもあり大きくもある「海」なのだ。
大人たちからのメッセージ
上記の記事は、おかモネチーフ演出の一木さんのコラムである。まだ読んでいない方がいらっしゃたら、是非読んでいただきたい。
制作秘話等が書かれたnoteなのだが、私はとある文章を読んで、思わずスマホを抱きしめてしまった。それがこちら。
15~25歳に届けたい、おかえりモネの世界
(略)
その上で、社会の役に立とうとしてくれているこの優しい世代の皆さんに、伝わればいいなと思っています。あなた達のことを見ているよと。決して勝手に「希望」と祭り上げることをせず、まずは私達世代が頑張るよと。だからあなた達はまず、自分の思う方へ、自由にやってみてほしいと。間違えたら戻ればいい。
「モネ」に出てくる大人たちのせりふは、実は若い皆さんに向けての、かなり直接的なメッセージでもあります。彼らは常に正しい人間ではないし、弱い部分や欠点もある。
でも子どもたちの未来のために、大人としてのきょうじを守ろうと「じたばたと」ふんばっている。そんな生き方をまずは見てほしいです。モネで描く大人世代の行動や思いは、作家の安達さんを始めとした、私たちの願いがかなり入っています。
先ほど、進路に悩んでいる話をした。
「やりたいことが変わったっていい。いつ始めてもいい。好きなことしなさいね」
おかモネは常に、モネに、若者に、「好きなこと」という選択肢を与えてくれていた。永浦家の子供、孫に対する思いも、サヤカさんも、汐見湯でも、WS社の社内プレゼンだってそうだ。
立場、家族、地元、お金、そして何よりこのご時世。「自分の好きなことをしていいのだろうか」そういう思いが、脳内をグルグル回る。正直、自分だけで決断を出すのは難しい。
そんな中、大人の方から「好きなこと」をしていいんだよ。と、背中を押してくれるのは、決断する力になる。
私はおかモネの大人たちが好きだ。もちろんいろんな人がいて、みんなが自分の味方をしてくれるわけはない。だけれども、1人でも後押しをしてくれる人がいたら、それはその人の中で自信になる。
私にとって、後押しをしてくれる人、がそのままおかえりモネなのだ。
気仙沼編で、あかりちゃんという子がモネの元を訪れてきた。2019年で中学3年生のあかりちゃん。単純計算で、私と同い年。あかりちゃんは、本当に2019年の私そっくりだった。あかりちゃんの代わりに当時の私が、おかモネに出演しても(?)、「どうして気象予報士になろうと思ったのか」を聞き、「綺麗事」って言ってしまう気がする。
震災前の15歳のモネは、吹奏楽を立ち上げ、音楽の道へ進みたいという夢を持っていた。反対に、あかりちゃんみたいに、未来の道が分からない人もいる。私は後者だった。
中3当時、高校の面接練習をするときに、はっきり高校の次を見据えた発言をしている友達の志望理由を聞いていて、なんでそんなに自分の未来を考えられているんだろうと思っていた。私が今の高校を選んだ理由なんか、自分の学力に合っているから、それだけだった。だから、実際面接は「綺麗事」で繕った言葉を話した気がする(実際受かって、こうして通っているので結果オーライ)。
どうしてみんな上を目指すんだろう、好きなことができる人なんかひと握りなのに、そう割り切っていた気がする。また、自分のことは全然考えられていないのに、周りに全振りでいいのだろうか、自分に向き合えていない自分に相談されても大人は困るだけなのでは、そんなことも思っていた。
ここまでは全て過去形である。私は、あかりちゃんを見ていて、2年前の自分を思い出していた。今は違うのかと問わたら、違うとハッキリ言える。たぶん高校に行って、今まで人口数百人の町で過ごしてきた狭い視野から、世界が広がって、いろんな人に出会ったからなのだと思う。
モネはあかりちゃんに「大人を頼っていい」と声をかける。
かつての私が聞いていたら、どう思ったんだろう。今の進学先とは違う道を選んでいたのか、本音を話して周りに頼ることができていたのだろうか。
ずっと現在進行形の自分を重ねながら見ていたので、かつての自分を客観視しながら見るという新しい視点だった。あかりちゃん、高校生活楽しんでいるかな。私は楽しんでいるよ。
話が過去に戻ってしまったが、もう一度今の自分を振り返る。
先月、秋の進路面談が担任とあった。半年前は何となく、とりあえず地元、で進路志望調査の紙を提出していたが、先月のそれには、行きたい学部の候補と、県内外を含め、それにあった大学をきちんと調べて調査書の空白の欄に、ビッシリ書いて提出した。これは今まで何となくで生きてきた私にとって革命だった。調べて見ると、ここで学んでみたい!こういうのをやってみたい!というのが多くあり、逆に候補が多くなってしまったほどだ。
そして面談の日。新年度早々、ドラマが好きなことをアピールしていたので、早速担任は「今好きなドラマは何なの?」って聞いてきた(半年前以上の話を覚えている担任何なんだろう、すごいな)。私は被せ気味で、「おかえりモネです!」って答えた。そこから、おかモネはこういう話で、こういうセリフがあって、それに感化されて、自分のやりたい候補を上げたら、こんなにもビッシリ書いてしまいました、的なことをバーッと喋った(担任は忙しくなったのが原因で、8月初週で見るのをやめたそう。それを聞いて、「先生はコインランドリーから何も動いてませんよ!」って言ってしまった。意味不明な生徒だな)。すると、担任はひとつひとつを調べてくれ、今の学力だったらもう1つ上のここを目指してもいいかも、とか、他にもこういう大学も出てきたけど、ここどう?とか、また新たな道を示してくれた。そのとき、これが大人に頼るということなのか、と実感した。
先生はその道のプロである。頼れる分だけ頼ったらいいんだ。面談終わりの私の顔は清々しかったと思う。ちゃんと本音で話せて楽しかった、そういう気持ちでいっぱいだった(おかモネの話をする前に「最近いつもの元気なくない?」と担任に聞かれ、ちょうどモーニングの推し、佐藤優樹さんの卒業が発表されて数週間後だったので、見事ビンゴで、まず初めに「実はですね…」から佐藤優樹を語るという時間が数分ありました。その話も聞いてくれた担任マジBIGLOVE)
一木さんはnoteで、モネ世代の方に届いたら、と綴っている。
届いてます!!!!!!!!!!!!!!!!!何なら、グサーーーッとクリティカルヒットしまくってます!!!!!!!!!!!
読みながらそう思った私は、届いているよ、という気持ちを込めてスマホをギューッと抱きしめた(そのあと、届いてます!メールをNHKに送った)。
分からないけど分かりたいと思っている
さっきから私は、モネやあかりちゃんに自分を重ねたという話をしているが、私が1番分かるよ!!!!!!と思っていたのは、みーちゃんこと永浦未知である。
私は長女なのだが、地域のコミュニティの中では末っ子で、小学生の頃は、いつも自分より少し上のお兄さんお姉さんと一緒にいた。幼なじみグループにいるみーちゃんが、少しみんなと距離を置いていたくらいの距離感を感じることが多かった。
また、みーちゃんは、汐見湯でモネに菅波に、所謂八つ当たりをする。私はみーちゃんのような、自分の好きな人がお姉ちゃんの電話には出るの何なんだよマジ、といった経験はないが、真面目に頑張っているのに報われなくて、周りと比べて自己嫌悪に走るということは、結構ある。分かりやすく、何なんだよマジって思う。
だから、服を投げつけるみーちゃん、菅波にあれやこれや言っちゃうみーちゃんを見て、もっとやれ!!!!!!!!!!!!と思っていた。いいんだ!!!!自分の感情ぶつけていいんだ!!!!!!!何も知らない人からしたら、”タチが悪い子”枠になるかもしれない。でも、そんなことはない。頑張っている子が、真面目に生きている子こそ、「ズルい」って感情が湧いてくる。分かる、分かるよ。ぶつけちゃえ!!!!!!イッケーーーーーー!!!!!!!!!!
そんなことを思いながら汐見湯のみーちゃんを見ていた(あさイチ出演時に、みーちゃん役の蒔田彩珠さんが、もっとやれ!!!!って思ってましたってコメントしてて、蒔田彩珠さんBIGLOVEでした。清原果耶さんみたいに、まきまき〜!って言いながら蒔田さん抱きしめたい。蒔田さん逃げて)。
でも私は、みーちゃんのことが何も分かっていなかった。みーちゃんは最終週で、あの日おばあちゃんを置いて逃げたことを告白した。みーちゃんが島から出ることのない理由はいくつかあるよな…と思っていたが、根本的なものはそれなのだろう。私は島から出ちゃいけないんだ。一種の束縛を受けていたのかもしれない。
そう、みーちゃんのことが分かるわけないのだ。まず私は東北の人間でもないし、何なら災害が少ないカムカムの地域に住んでいる(1回、周りの県は全て警報出てるのにうちの県だけ注意報で、赤に挟まれた黄色という囲碁状態だったことがあった)(当時、学校あるのかよ……って悔やんだ小学生の私)。
そこに関しては、神野さんと同じで、そういう経験を持っていない人になる(菜津さんとのシーンよかったっすね…)。
自分は非該当者だから分からない。そう割り切ってしまえばそこまでだ。
それを、そこまでにしなかった人がいた。そう、皆さんご存知、菅波光太朗。
「あなたの痛みは分かりません。でも、分かりたいと思っています」
菅波からモネに向けて言った言葉だが、この物語の核であり、世界の真理だと思う。
今期のドラマを見ていても、これは分からないけど分かりたいだ!!!!って思うし、先日解いたテストの評論文の後半に「想像することを通じて他者と向き合う」的なことが書かれてあった。菅波ポイントだ!!!とテンションが上がり、マスクの下で興奮していた。
ふと思うと、日常生活って、分からないけど分かりたいと思っていることの連続なんだなと感じる。みーちゃんに対してだけじゃない。自分以外の人は他人だ。分からない。だけど、分かろうとすることはできる。痛みを想像することで見える景色が2倍になる。菅モネって美しいな………
私がこのドラマで、これが菅波の言ってたヤツ!!!と感じたのは、気仙沼編の及川家のシーンだ。死亡届に判子を押すを新次さんを見守る永浦家の人達。私には新次さんの気持ちは分からないし、おそらく永浦家の人たちも分からない。だけど、あの空間にいるような気持ちで、モネたちと同じように、判子を押す瞬間を見守ることが出来た。そのとき、分からないけど分かりたいと思っていますってこれだ……………ッッとなった。半年間見てきてよかった、見たからこそのシーンだったように思う。
そもそも、おかモネって、分からない、分かりにくいドラマだ。でもその分かりにくさがいい。分からないままが、分かりたいと思うことで、違う景色が見えるかもしれない。やはり、おかモネは可能性のドラマだ。
菅モネ
あなたの菅モネはどこから?と聞かれて、皆さんは何と答えるだろうか。
私の菅モネは……………………どこだ………
菅モネがじっくりコトコトだったように、私の菅モネもじっくりコトコトだった。気づいたら、菅モネの渦中にいた。
どこだ…………?まだ蕎麦しか食べてないのに!!!!!という煽りに、味を占めているので、それよりは前………だ…………………
私はよく、菅モネ結婚しろ!!!!!と言っている。だが正しくは、結婚(概念)しろである。
菅モネの好きなところ。それは、従来の恋愛の枠組みにハマっていないところ。
出会って、好きになって、付き合って、結婚。私の考える恋愛の基本の枠組みはこれだ。
モネの菅波はどこから?に対し、清原果耶さんは「モネは恋愛脳で生きていないので、ハグしたときに恋心を自覚した」と答えていた。清原果耶サァァァァァァァァァン!!!!!!
朝ドラという女性の一生を描いてきた枠で、「恋愛だけが全てじゃない」と提示したことは、革命なのではないだろうか。
またまた、自分の話をするが、私も恋愛脳で生きていない。過去、修学旅行のネタに困ったくらいだ(いないかなーって言ったら、「こざちゃんはアイドルに夢中だから」って言われたハハ)。
散々言っているが、私は田舎暮らしをしている。主語デカではあるが、田舎はゴシップネタが大好きな生き物である。家でも彼氏は?って聞かれるし、久々に会った地元の友達にも彼氏は?って聞かれる。さらには異性愛基準で、結婚を見据えて話が進む。何だかなーといった感じである。
また義務教育9年間、1クラスだけの世界だったので、付き合うことができる相手も限られていた。さらには好きな人ができた瞬間、次の日には相手にバレる。それが逆に勇気づけられる、嬉しい、と前向きな気持ちになる人ならいいが、私はその逆である。私は小学生のときにその被害にあって、それ以降、恋は楽しい!というより、「面倒くさい」という感情が勝って、誰かを好きになるということをしていない。だったら、アイドル追っかけて、キャーキャー言う方が楽しいし(別にアイドルに恋愛という感情を抱いてはいないが)、”推し”という存在を愛でているくらいがちょうどいい。今のクラスの人にも、男女構わず、勝手に愛でている推しという存在や、うわー!今の何ーー!?好きになっちゃう!みたいなことはあるが、”付き合いたい”という感情が芽生えることはない。だから、付き合う前提で話をされても困るのだ。好きって何なんだ…?(急な井田)(みんな消えた初恋見てね)
モネは、自分のやりたいことの延長線上に恋愛があった。そして菅波も決して、仕事と私どっちが好きなの?とは決して聞かない。
気仙沼編に入ったとき、モネは菅波のことは忘れたの?というツイートを見かけたが、そうじゃない。そうじゃない関係が2人にはある。永浦百音と菅波光太朗、この2人だから構築できた関係があるんだ。それが菅モネなんだ。
まずまず、菅波が、仕事と私どっちが好きなの?という人だったら、気仙沼に行くモネを止めているだろう。菅波はむしろそういうモネが好きなんだろうし、どれだけ遠距離になろうが2人は「信頼」で繋がっている。
菅モネって何なんだろうか。菅モネって何?って聞かれても、菅モネは菅モネだよ、と答えるしかない。菅モネはどこの型にも当てはまらない、たったひとつの菅モネなのだ。
ちょっとまって、何言ってんだ?分からない。菅モネって哲学なのか。菅モネって新しい学部できてもおかしくない。菅モネ学部菅モネ学科。研究する価値はありそう。
本当に何を言ってるのか分からなくなってきた。
言いたかったことは、「恋愛が全てじゃない」「恋愛しなくたっていい」と、ハッキリ提示してくれたことが嬉しかったという話だ。恋愛においても、したっていい、しなくたっていい。そういう選択肢を、可能性を与えてくれた作品だった。
最後に、私が好きな菅モネのひとつ。所謂2人にとっての告白というのが、「分からないけど分かりたいと思っています」だったが、プロポーズのときは「想像することで見える世界が2倍になった」と言っていた。付き合うまでの過程はカタツムリのスピードだったが、付き合ってからはオリンピック選手並のスピード感だった菅モネ(これも恋愛脳で生きていない、別に恋愛を描きたいわけじゃないからなんでしょうね)。だから、恋人関係の菅モネを私たちはあまり知らない。見せつけてくれていない。だけど、2倍になったプロポーズで、2人の関係がさらに構築されたのだろうということが読み取れる。ややこしいプロポーズだったけど、今までの菅モネを映し出した菅モネらしいプロポーズだったな。大変に好きだ。
…………とりあえず、あのとき菅波は、何を見せつけるつもりだったのか、それだけ教えてください。
まとめ
『おかえりモネ』とは可能性の作品。ここまで長々と書いてきたことをひと言でまとめるとしたら、これである。
朝ドラは半年間のスパンがある。いろんな世代、いろんな人物を描くので、1作品ながら、自分の人生と重なるシーンに出会う(もちろん出会わなかったというのも感想のひとつ)。ヒロインというくくりはあるものの、ヒロインだけでなく、登場人物のそれぞれ人生に寄り添っていたのがおかモネだ。私はモネ、あかりちゃん、みーちゃんに自分を重ねたが、見ている人それぞれで、その対象は違うだろう。
例えば、保育士である私の母は、10分間の亜哉子さんの話を聞いて、もがいていた。これこそ、私には分からない感情である。
おかモネは、あの時の亜哉子さんを手放さない。これまた可能性を示してくれた。母の中でも変化があったのかは分からないが、亜哉子さんの可能性が、母の可能性へとなったかもしれない。
また、可能性という未来と反対に、”そのままでいい”という選択肢を提示してくれたのもこの作品だ。未来もあって希望もあって、そんな明るい光だけが全てじゃない。
第一、私たちはモネの高校時代を知らない。中学時代を描いていて、まして現代劇なら、より心情が複雑化しそうな高校時代を描きそうなものである。モネにとって高校生活とは、何だったのだろうか。震災直後、本来の夢の挫折。モネの人生において、所謂”停滞”していた時期だったのかもしれない。
誰にだって、止まってしまう時がある。そこに何と接すればいいのか。「前を向け」「頑張れ」とポジティブな言葉をかけることは簡単だ。簡単だからこそ、逆に無責任のようにも感じる。誰もが、熱血に生きられない。でも、ここに生きていることに変わりない。
「役に立とうとしなくていい。生きているだけでいいんだ。」
サヤカさんはモネにそう声をかけた。何かを成し遂げてこそ成長、人の役に立ってこそ一人前、社会は過剰に「やりがい」を求めてくる。でも、それが全てじゃないはずだ。地元の役に立つだけが、地方に生まれた宿命ではない。”誰か”に焦点を合わせなくても、”自分”が懸命に生きること、それだけで十分なのである。
水の循環。山から流れてきた水は、大海原へ出ていき、雲になって、人々に恵みの雨を降らす。そしてそれぞれの用途で活躍して、また「おかえり」と戻ってくる。
水の循環と人生の循環は似ている。人間は、時には優しく、時には凶器となる自然を避けることはできない。でも共存していかなければいけない。
無力な自然に”今”何ができるのか。”今”を追求して、がむしゃらに生きているおかえりモネの世界。そのがむしゃらが、これまた無力な未来を灯すかもしれない。この世界に出会えてよかった。私も今をがむしゃらに生きよう。
そして5年後くらいに、「今の私がいるのは、あの時おかえりモネがいたからです」ってツイートをしている気がする。自分の未来がまだまだ楽しみだ。