こざ

ドラマの感想から入ったのにだんだん雑多になった人

咲いた花は優しい『消えた初恋』の世界

私の心臓を狂わせているドラマ、『消えた初恋』が2021年12月18日の本日、最終回を迎えようとしている。

 

 

思えば、約3ヶ月前。どこからか漏れたドラマの情報を知ってしまった私は、TLに流すわけにはいかない!だが、この感情を抑えるのはッウワァァァァァァァァァァァァ!!!!という気持ちで、結局1週間、誰にも話せず1人で自問自答を繰り返していた。

 

そして、運命の日、

 

公式発表が明かされた私は、なぜか夜道を走ることになった。走っていたら、夜更かしのフォロワーに、「リアル夜に駆けるww」と言われて、めちゃくちゃ笑った。おそらくこの世で、実際に夜に駆けるの世界観を体験した人は私くらいだろう。涼しい風が空を泳ぐように今吹き抜けていっていた。

 

(そしてリアル大声ダイヤモンドでもあった)

 

 

私は、Snow Man目黒蓮のオタクをしている、いわゆる目黒担だ。だから夜に駆けたし、この『消えた初恋』を何よりも楽しみにしていた。

 

私は、『消えた初恋』初回放送前に心配していたことがあった。それは、この作品が”イロモノ系BLドラマ”として世間に思われてしまわないか、だ。

ジャニオタ=年齢 なので、それ相応の偏見はかなり受けてきた。いつも適当に流してきたが、この作品に関しては、変に偏見をもってほしくない!と強く思っていた。なぜなら、原作を読んで、消え恋の優しさに触れたからである。

”ただ人を好きになるということ”そこに焦点を当てた、そこを大切に描いている作品だった。そんな作品に私の好きな人が出ることが嬉しかった。

だから、「どうせファンが喜ぶだけのジャニーズドラマでしょ」って思われるのが、いやそうじゃねぇんだよ、登場人物ひとりひとりが懸命で真っ直ぐ生きてる優しい物語なんだよォオオオオオオ!!!!!!そしてその原作の良さを、変に改変することなく、真っ直ぐドラマにしてくれ制作陣ンンンンンンンン!!!!!!!!!!!と心配していた。

 

だが、その心配は初回を見て、すぐに消えた。消え続けたまま、今日の最終回を迎えようとしている。

 

 

 

その理由は、このドラマが、一貫として描いてきたものにある。

 

 

私の好きな、アンジュルムの『46億年LOVE』という曲の2番にこういう歌詞がある。

 

誰も彼もきっと違う同士

分かんなくても当然ダイバーシティ

傷ついたら「傷ついたよ」と

伝えられたら

 

youtu.be

(あざとくて何が悪いの?みちめめゲスト時に、目黒がひたすら「杏里ちゃんタイプ(意訳)」と言っていた、杏里役の佐々木莉佳子さんがいるアンジュルムというハロプロのアイドルグループです!2番のその歌詞は1分57秒からですが、全てが最高なので、よかったらフルでどうぞ!)

 

 

ダイバーシティ=多様性。色々な人がいるということを受け入れ、組み込み、その多様性を活かして、組織全体を変革していこうという考え方、といったところだろうか。

 

多様性といっても様々あるが、ひとまずジェンダー的なところに注目したい。消えた初恋には、LGBTQ監修の方が就いている。

「LGBTQ」日本でもその言葉自体は定着してきたように感じる一方で、この概念が社会に本当に浸透しているのかと問われると、自信をもってYESとはまだ言えないのが、この日本の現状だと思っている。

昨今、学校でも、LGBTQについての授業や講演会が多く開催されている。私も、保険の授業で所謂ジェンダー論を受けたことがあるが、中学、高校と「左利きの人と同じくらいの割合でそういう人は存在する」という同じ例え話を聞いた。どこか、他人事だな、と思った。クラスに左利きの人が実際に2人くらいはいる。ということは、そうやって話を聞いている今、2人くらいは 自分だ と思って聞いている人がいるということだ。

 

私は、同性愛者か異性愛者かと問われると、たぶん異性愛者である。なぜ たぶん なのかと言うと、ここ最近全く誰かに恋という感情を抱いておらず、よく分からないという感情で疼いているからだ。オタク面にしても、ジャニオタだし、ハロオタだし、性別問わず、自分の好きなものが好き!という考えのまま生きているので、はっきり好きに性別を意識したことがない。例えば人に、ジャニーズが好きだと伝えると「イケメンが好きなんだ〜」って言われるし、ハロプロが好きだと伝えると「女の子が好きなの!?」と言われることがしばしばある。なんでそんなに性別に型をつけて話をしてくるんだろう。毎回そうやって相槌をされるために、頭に疑問が浮かんでいた。

「LGBTQ/多様性」が言語化される時代にはなったけど、「自分には関係ない」って心の中で思ってる人が一定数いるのが現状ではないだろうか。「偏見」がどうとかこうとか言っているが、本当に他人に対しての偏見がない人はいるのだろうか。偏見のない優しい世界は、本当に訪れているのだろうか。

消えた初恋を見ていると、そんな世界で世の中が色づき始めているのかな、と感じることがしばしばある。

 

 

また別の話をもちかけるが、朝ドラ『おかえりモネ』で、「あなたのことは分からない。けど、分かりたいと思っています。」というセリフがあった。話の前後を全て除き一言で説明すると告白の言葉なのだが、世界の真理をこれでもかとついていると私は思っている。

 

消えた初恋では、恋という感情に懊悩とする姿が描かれている。ただ自分は相手が好きというだけなのに、どうして上手く伝えられないのか、どうして上手くいかないのか。

 

youtu.be

最終回の予告で、「お前何にも分かってねぇよ!」「あぁ!分かんねぇよ!」という青木と井田の会話がある。その真意が何なのかは本編を見ないと何とも言えないが、仮に2人が「分からない」にたどり着くとしたら、これ以上ないと思っている。好き同士といっても、所詮他人。分からないものは分からない。だけど、その分からないを分かりたいと思った瞬間に、恋が芽生えるのではないかと。

 

 

もう一度、『46億年LOVE』の歌詞を思い出してみる。

誰も彼もきっと違う同士

分かんなくても当然ダイバーシティ

傷ついたら「傷ついたよ」と

伝えられたら

分からなくたっていい。だって、みんな違う同士であり、様々な考えや価値観があるから。

 

この社会は、「多数派」「少数派」に別れてしまう。ダイバーシティな社会は、「少数派」も受け入れるということだが、「多数派」にとっては「少数派」を「自分には関係ない」と切り捨てるのが1番ラクな考え方だ。そして人は、他人と違うこと、「少数派」でいることを怖がってしまう。だが、自分は「多数派」だから、と割り切っている人でも、思いもよらないことで、どうしようもない理由で「多数派」から漏れ出ることがある。じゃあそれが悪いことなのか。

そんなことがあるはずはない。そんな世の中になってしまったら、いよいよ世も末である。分からなくて当然であり、分からないからこそ、相手に対して良くも悪くも感情が動く。

 

消えた初恋8話で「まぁいっか。 何が好きだろうと、人の自由だしな。」というセリフがあった。そう自由なのだ。自由だし、誰が好きだろうが、分からなくていい。

そして、傷ついたら「傷ついたよ」と伝えられる関係性が理想である。「好き」と肯定的な気持ちを伝えることができても、否定的な感情を伝えることは難しい。何より日本は世界でも稀な忖度文化が根付いている。だけど、自分の本音をありのまま伝えることができて、その本音を受け止めてくれる世の中。そうすることで、分からないが分かりたいにまた一歩近づくのではないだろうか。

 

そんな優しい世界が来るのが理想だし、消えた初恋はそんな優しい世界だ。

 

 

先程から、多様性だの、ダイバーシティだの話しているが、消えた初恋を一言でまとめると、”ただそこにある好きを大切にしている”作品で、一貫として描いてきたものだ。

消えた初恋は、男同士の恋愛モノを描いたドラマだが、決してそこに焦点を当てているわけじゃない。BLという言葉で売ってはいない。それはドラマの内容もそうだし、SNSの発信もそうである。「ただ好きになったのが井田だった」「ただ好きになったのが青木だった」それだけの話である。

今まで同性愛を描いた作品は、何作かあったが、性別にこだわるのではなく、”ただそこにある感情”だけに向き合ったこの作品は、革新的だと思っている。

 

そんな消えた初恋に救われた人は、たくさんいるのではないだろうか。恋愛に限らず、好きの普通に縛られている人に、そのままでいいんだよと伝えてくれるこの世界に。

そんなドラマに私の好きな人が出演していることが嬉しい。

 

 

消えた初恋は優しい。その優しさから、世界に優しさが連鎖してほしい。

 

そんな優しい世界を生み出している消えた初恋は最高のドラマである。最終回、寂しいけど最後まで見守りたい。そしてあわよくば、2期をお待ちしております。